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村民たちは全国から応援を受けましたが、反対闘争が長期化していくにつれ収入が得られなくなり生活が苦しくなっていきました。また、徹底抗戦の効果もなく、試射は強行されました。
この状況を心配した内灘村当局は、反対する村民の思いを大事にしながらも、「接収の補償で砂丘地開発や河北潟干拓を実現する」などの条件を付けた妥協案を模索する方向に考えを転換しました。そして、反対闘争に参加する村民の中に、この条件付きの接収もやむを得ないと考える人々が現れ始めました。
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4.(1)〈The Protest Movement in Shambles〉(August, 1953) [PDFファイル/317KB]
はじめに座り込みを止めたのは大根布(おおねぶ)の人たちでした。反対闘争は村民たちで行うべきという考えがあったことと、外部の応援部隊に煽られる形で行われる警察の警告を無視した抵抗運動が目に余っていたため、8月2日に開催された大根布区民大会において外部団体との絶縁を決議しました。そして、8月11日には座り込みを中止し、8月16日には若者を中心に愛村同志会(あいそんどうしかい)を結成しました。愛村同志会は、村全体が外部団体と絶縁することを目的とする会でしたが、血気盛んな若者が中心だったこともあり、時に強引な手段を用いたため、批判されることも少なくありませんでした。しかし、地道な活動によって、次第に条件付きの接収に賛同する村民も増えていったため9月には目的の達成を理由に解散しました。
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4.(2)〈The Aison Kindred Spirits is Formed〉(August-September, 1953) [PDFファイル/338KB]
8月末、中山又次郎(なかやままたじろう)は接収について「政府と交渉すべきでないか」と発言し、9月5日の村全員協議会で、条件付きの接収に向け、正式に政府と交渉することを決めました。そしてその交渉により、9月14日には、「アメリカ軍の試射場使用は3年以内とすること」、「試射場が不要となった場合は内灘砂丘を早くに村へ払い下げること」を条件に国と合意しました。さらに、座り込みの中心地となっていた権現森(ごんげんもり)の民有地が政府の管理下に置かれたため、9月27日以降、内灘砂丘のほぼ全域が試射区域となり、座り込みの継続は難しくなりました。それでも、一部の村民は座り込みを継続しました。
10月4日、最後の座り込みが行われました。残っていた3棟の座り込み小屋を取り壊し、村実行委員会は解散しました。こうして反対闘争に終止符が打たれました。
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9月15日、内灘村当局が条件付きの接収に合意したのを受け、大根布(おおねぶ)・宮坂(みやさか)を除いた村実行委員会は今後の活動に関する協議を行い、接収反対闘争の継続は無意味であるという意見で一致しました。そこで、権現森(ごんげんもり)と鉄板道路での座り込み中止を決めるとともに、接収反対闘争が長期化したことに対する中山又次郎(なかやままたじろう)の責任を追及するリコール運動に集中することを申し合わせました。大根布・宮坂以外の各地区でリコールの署名を開始するとあっという間に署名が集まり、リコール請求が行われました。これを受けて、10月13日、内灘村長・中山又次郎は辞職届を提出しました。
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使用期限が迫った1956(昭和31)年6月13日、試射場の継続使用に関する交渉が内灘村当局と政府との間で妥結し、試射の終了、今後の補償などに関する覚書を交わしました。12月5日、アメリカ軍から「年内で試射を終了する」旨の通告があり、軍は1957(昭和32)年1月12日に砂丘から引き揚げていきました。そして、3月30日に内灘砂丘が正式に石川県に返還され、ようやく砂丘地は静けさを取り戻しました。
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4.(5)〈The Weapons Testing Range Today〉(June 1956- March 1957) [PDFファイル/336KB]